いのちの食べかた(その2)

2010/08/30 Mon (No.66)

 『いのちの食べかた』という映画は、ウィーン生まれのニコラウス・ゲイハルターという人が監督です。のちに、監督がインタビューに答えて、最近の食料品の値段がすごく下がっている。その理由を単純に知りたかったというのが、映画を撮るきっかけだそうです。すなわち食料が過剰生産されて、生産調整のために廃棄されている。その裏側が知りたかったというのです。

 最初に撮影を始めたのは、デンマークの豚の屠殺場で、そこでは、企業との撮影の交渉が難しかったそうです。というのは、屠殺シーンの撮影は一般に禁じられているからです。ただ撮影チームのそれまでのまじめな態度と、スキャンダラスな作品ではなく、真実を撮影した作品を作りたいという説得で、撮影が許可されました。工場に入ってからは、従業員といっしょに、同じ作業着を着て、解体用の刃物のかわりに、カメラを回したとのことです。次第に打ち解けて、企業側の監視もなくなっていったそうです。『ザ・コーヴ』と比較して、謙虚な態度で撮影しているのが分かります。

 ヨーロッパでは、古くから農耕と牧畜とが一体となって行われていました。穀物を家畜の飼料とする一方で、家畜の排泄物を穀物の肥料としました。中世では、輪作の一形態である三圃式農業と組み合わされ、土地の生産性を収奪しないよう考慮しながら農牧業が行われてきました。そして、家畜の屠殺は、子どもを育て終え、厳しい冬が来るまえの晩秋のころと決まっていました。

 しかし、『いのちの食べかた』がえがく現代の農牧業は、このシステムを分断し、収益性が最大となることをめざして規模の利益を追求していきます。はたらく人間のがわから見れば、栽培し、育成するという農民ならではの達成感はなく、栽培工場・飼育工場の労働者として働くという感じです。ただもくもくと収穫し、飼育し、屠殺する。その日常がえがかれています。わたしは、仕事がら、生産形態のみならず、そこではたらく人間のすがたにも興味があります。ここには、疎外されている労働を感じました。

 太地の「イルカ追い込み漁」は原始的です。探し、見つけ、追いかけ、追い込む。狩猟の世界です。「イルカ追い込み漁」に従事する漁民のすがたは、『ザ・コーヴ』から知ることはできませんが、きつい仕事ではあるにせよ充実していると思います。プリミティブに獲って殺す、人工授精で大量飼育しオートマティックに殺す、どちらがより残酷なのでしょう。

 わたしたちは、牛や豚や鶏を食べます。文化によっては、鯨や犬やジビエ(キジやシカなどの野生の鳥獣)を食べます。いずれも動物の命をたって食料にしています。食べられる動物のことをどれくらい理解しているかは重要です。そのうえにたって感謝して食べることが必要なのだと思います。そうしないと、やがて、魚は「切り身のまま」泳いでいると思うようになるかもしれません。
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コメント

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魚は「切り身のまま」泳いでいる?

はじめまして

>魚は「切り身のまま」泳いでいると思うようになるかもしれません。
そして、肉もパックで生まれてくると思うかもしれませんね。

私のような田舎育ちの中高年は、ニワトリつぶしたり(屠殺)雀をおやつにして食べたりしていました。そのせいか、コーブのようないるア漁のシーンは、愉快ではないものの受け入れられます。むしろ、「オートマティックに殺す」ほうに違和感を感じますね。


プロフィール

Author:進路ルーム
京都の大学で大学・大学院と8年間を過ごし、高校の教師となりました。文系ですが、コンピュータ大好き人間。人間(生徒)に倦むと機械(コンピュータ)が恋しくなり、機械に倦むと人間が恋しくなります。

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