インド ポピュラー・アートの世界

2011/11/04 Fri (No.509)

 国立民族学博物館では、もうひとつ興味深い展示がありました。それは、館内の企画展示場Aで催されていた「インド ポピュラー・アートの世界」です。

 インドがイギリス東インド会社に侵食され始めるころ、ヒンドゥー教支配の北西インドでは、ラージプート絵画が発達していました。それは、細密画に秀でたムガル絵画の影響を受けながら、ヒンドゥー教神話の世界を描くものです。このヒンドゥー教美術に西欧の印刷術が結びつき、初期のインドのポピュラーアートが成立しました。

 19世紀半ばになるとムガル帝国は滅亡し、イギリスの一元支配が始まります。そして、このイギリスの影響を受けた印刷画は、宗教画をこえて、植民地に対するイギリスの好奇な視線にさらされた、エキゾチックな女性観を表現するようになります。植民地の女性に対する優越感とないまぜになった女性像は、官能的色彩を帯びます。イギリス人のこの女性観と呼応するように、上中流インド人のなかにも、みずからをイギリス支配層と重ね合わせた価値観をもつものも現れ、それが白人女性の官能的絵画をも生み出します。いわば「脱亜入欧」というところでしょうか。

 20世紀のはじめには、インドにマーケットをもつタバコ会社、石鹸会社、紡績会社などは、販路拡大のために、製品ラベルやカレンダー、ポスターにヒンドゥー教の神々を印刷します。製品購入と引き換えにこれらのヒンドゥーグッズが人々の手に渡るのです。現代アメリカのポップアートのようにマーケティングと絵画とが一体となった時代です。

 おなじころ、コラージュも登場します。コラージュの対象となったのは、ヒンドゥー教の神々、そしてコラージュの遠景には、インドの風土とまったく異なったヨーロッパの風景がもちいられます。場違いな印象もぬぐえませんが、これが、多様なインドの気質なのかもしれません。コラージュは、やがてインド独立の志士にも及びます。娯楽に徹した歌あり、踊りあり、恋愛ありのインド映画のように、いろいろなものが混沌と存在し、そして混沌を「デウス・エクス・マキナ」の大団円で収束する、これがインド社会のしたたかさなのかもしれません。

 これまでわたしが触れることのなかった、植民地時代と結びついた近現代インドのポピュラーアートの一端を垣間見ることができて大変楽しい展示でした。

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進路ルーム

Author:進路ルーム
京都の大学で大学・大学院と8年間を過ごし、高校の教師となりました。文系ですが、コンピュータ大好き人間。人間(生徒)に倦むと機械(コンピュータ)が恋しくなり、機械に倦むと人間が恋しくなります。

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