「英語公用語」は何が問題か

2010/11/18 Thu (No.150)

 「『英語は出来るけど仕事は出来ない人と、仕事は出来るけど英語は出来ない人と、どっちがいい仕事につけると思う?』という質問は、もはや聞く必要もない質問とさえいえそうである。答えは明らかに、『英語が出来る人』になりつつあるようだから」と鳥飼久美子は述べています(『「英語公用語」は何が問題か』角川oneテーマ21、2010年)。一昨日、合同求人説明会の帰りに難波の「ジュンク堂」でこの本を見つけてさっそく読んでみました。

 わたしが10月24日のブログで述べたように、鳥飼は英語の一人歩きには反対の立場をとっています。「日産」や「ユニクロ」、「楽天」が英語を社内の公用語とする動きに対して、鳥飼は、それを「英語帝国主義」と指弾し、「英語帝国主義」の危険性について2つの点を指摘します。第一は、「イングリッシュ・ディヴァイド」と呼ばれるもので、「英語の出来る人間」が「英語の出来ない人間」を差別し、特権意識を持つようになることです。第二は、「英語帝国主義」によって文化の多様性が損なわれるというものです。「人間は誰でも自分の母語で話す権利があること、言語の価値はその言語を話す人間の数で決まるのではなく、たとえ話者が少ない言語であっても人類共通の財産であり大切に維持し絶滅から救う価値」があり、「言語というのは単なる道具ではなく、人間にとっては言語そのものが思想であり、文化であり、人間としての存在の拠り所」(前掲書)とのべます。

 スイスには、4つの公用語があります。一番話者の多いのがドイツ語ですが、スイスの人口の0.5%に満たない話者しかいないレトロマンス語も公用語となっています。レトロマンス語はラテン系の言語で、古代ローマ時代にスイスに移住したラエティア人に起源をもつ言語です。このように話者の少ない言語でも言語は民族と文化のあかしであり、多文化共生の時代にあって切り捨ててしまえる性質のものではありません。まして、日本語は話者も多く、日常の会話には日本語でしか表現できないことがらも多く存在します。「梅雨」と聞いて私たちは6月のじめじめとしたうっとうしい季節をその体感とともに思い浮かべますが、rainy seasonと聞いて同じ情感を思い浮かべることができるでしょうか。「イネ」と「米」「ご飯」「おこわ」「かゆ」「雑炊」「おじや」をどのように英語で表現するのでしょうか。

 わたしたちは、日本語で考え日本語で表現します。グローバル社会の「共通語」が英語であるとしても、はじめから英語で考え英語で表現する必要はありません。それをあとから英語に通訳したり、翻訳したりすればいいのです。「『英語は出来るけど仕事は出来ない人と、仕事は出来るけど英語は出来ない人』」のうち、仕事が出来るのは「仕事は出来るけど英語は出来ない人なのです。社会では、仕事の中身が大切ですので、「英語の出来ない人」は専門の「英語屋さん」に「英語」にしてもらえばいいのです。
関連記事

コメント

Secret



プロフィール

Author:進路ルーム
京都の大学で大学・大学院と8年間を過ごし、高校の教師となりました。文系ですが、コンピュータ大好き人間。人間(生徒)に倦むと機械(コンピュータ)が恋しくなり、機械に倦むと人間が恋しくなります。

ブログ内検索
カテゴリ
今まで訪問された方
最新記事
月別アーカイブ
RSSリンクの表示