調査書の発行

2013/07/31 Wed (No.1159)

 今日で7月もおわりです。明日からは、大学のAO入試のエントリーができるようになります。また、調査書の発行もできるようになります。

 ところが、専門学校のAO入試エントリーの解禁が6月なので、早いところでは、7月から高校に対して調査書の発行を求めてきます。生徒も、専門学校で言われたとおり、担任の先生に調査書を発行してくれるように頼みに来ます。8月から調査書が発行できるといっても、1学期が終ってまだ10日あまりしか経っていません。成績だけでなく、出欠や所見も調査書に記載しなければなりません。多くの学校で調査書をコンピュータ管理しているといっても、担任の仕事は多く、調査書にかかりきりになるわけにはいきません。

 調査書を作成する側からいえば、せめて8月の終りまで調査書の発行を待ってもらいたいものです。
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マークカードの読み取り

2013/07/30 Tue (No.1158)

 1学期が終わって10日経ちましたが、毎日学校に出勤しています。先日大学コードが完成し、マークカード読み込みプログラムと統計資料作成プログラムを考えています。

 今年は、専用マークカードを作ってもらいました。スキャナで上質紙のマークを読み取るのとは異なって、マークカードにマークしたものは、マークが不完全でもまた少々薄くても正しく読み取ってくれます。問題は、マークする生徒が正しいコードをマークできているかです。またボールペンでマークされるとまったく読み取ることができません。

 今週中には、めどをつけたいと思っています。
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エロスとタナトス

2013/07/29 Mon (No.1157)

 今回の文楽の解説のなかに、相愛大学の釈徹宗による「生への欲動、死への欲動」という一文があります。「文楽ではけたはずれのエロスとタナトス」が交錯するというのです。釈徹宗は、これを人形遣いと義太夫語りとの組み合わせ、すなわち、非生物である人形が人間のナマのあり様を表現することのうちに見て取ります。

 フロイトによれば、エロスとは生への欲動、タナトスとは死への欲動のことです。わたしは、人形遣いと義太夫との間にエロスとタナトスは感じませんが、文楽のストーリーのなかに「エロス」と「タナトス」を感じることはよくあります。「生きん」と欲して、かえって死に近づいてしまう。「心中もの」はまさしくそうですが、時代物でも、死ぬことが生につながり、生きることが死につながる。たとえば今回の演目でいえば、「妹背山婦女庭訓」のお三輪の死は、鎌足を生かすための「生への死」でもあるのです。

 人間は、生を受けたときから「死に向かう存在(Sein zum Tode)」なのです。そして善く生きんとすればするほど、かえって悪に近づいてしまう、どうしようもない存在なのかもしれません。もしメフィストフェレスであれば人間をこういったことでしょう。「つねに善をなさんと欲して、かえって悪をなすあの力の一部(Ein Teil von jener Kraft, Die stets das Gute will und stets das Böse schafft.)」であると。
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夏祭浪花鑑

2013/07/28 Sun (No.1156)

 先日、国立文楽劇場で「夏祭浪花鑑」を観てきました。昨年、脳梗塞で入院した竹本住大夫が「釣船三婦内」の「切場」を語ります。三味線は、野澤錦糸です。「三婦」が「お辰」を信用しながらも、色気に気遣い、「お辰」はいったん引き受けたことは守ろうと一本気です。昨年までの住大夫とくらべて、すこし迫力が少ないかなという感じはしましたが、本当によく恢復されたと思います。

 ところで、「夏祭浪花鑑」は典型的な大坂の夏狂言です。クライマックスは、高津宮夏祭の宵宮に起こった、舅殺しの凄惨な場面ですが、祭りのだんじり囃子が、血が騒ぐ「団七」の心根を非日常的な空間へと導いていきます。夏狂言には、刃傷沙汰が多いのです。「夏祭浪花鑑」では祭り囃子が、「女殺油地獄」では床一面に広がった油が、「伊勢音頭恋寝刀」では妖刀青江下坂が契機となり、人の心にすむ「狂気」を拡大していくのです。
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ぼっち席

2013/07/27 Sat (No.1155)

 今日の朝日新聞夕刊の第一面に、京都大学の学生食堂の一人用席が静かな人気になっているという記事が載っています。一人ぼっちへの周囲の目線を気にせず食事できることから「ぼっち席」と呼ばれているそうで、神戸大学でも採用されたそうです。

 一人で食事することは、わたしが学生だった30年以上も前は当たり前のことで、大学の学食も、下宿屋街の一膳飯屋も、みな一人で食事をしたものでした。「一人居酒屋」という言葉もないくらい、「一人居酒屋」もありふれたものでした。携帯もなく、メールもなく、個人と個人の距離が今よりもはるかに遠い時代では、他人の目線を気にしながら生きるという選択肢は今よりずっと少なかったわけです。

 ところが現代では、携帯やメールだけでなくSNSができたかと思うと、twitterあり、LINEあり、希薄ではあっても人とのつながりに配慮せざるをえない時代となってきました。ハイデガー流に言えば、「ひと」の動向を気にしながら生きる「ひと」が現代の人間なのです。

 食事においても、一人ぼっちで食事することが恥ずかしいと思えるようになり、「便所飯」と呼ばれる「個室」でこっそりと食事する大学生が話題になったのもつい最近のことです。高校でも、仲間から離れて、ひとり教室の隅で食事している生徒はさびしそうにみえます。しかし、結局のところ、ひとは一人で生きていかざるをえない。「ぼっち席」は現代の若者心理の脆弱さを露呈しながらも、案外、そのしたたかさを具現しているのかもしれません。
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進路ルーム

Author:進路ルーム
京都の大学で大学・大学院と8年間を過ごし、高校の教師となりました。文系ですが、コンピュータ大好き人間。人間(生徒)に倦むと機械(コンピュータ)が恋しくなり、機械に倦むと人間が恋しくなります。

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