二重の虹

2012/08/31 Fri (No.818)

 今日の夕方、空一面が掻き曇り、沛然とした驟雨となりました。あまつさえ雷鳴が響き渡ります。近くで落雷もあるようです。一秒にも満たない停電も、幾度かあります。部活動や文化祭準備を終えて、まさに帰宅しようとしている生徒たちも、この雷雨の中をさすがに校舎から出ることはできません。非日常的ともいえる体験の中で、生徒たちは興奮して教室や下足室で騒いでいます。

 しかし、小一時間もしないうちに、雷は遠のき雨も小降りになってきました。雨宿りをしていた生徒たちが東の空を見上げています。生徒たちの見遣る方向を眺めると、そこには虹。夕日を映して、途中で途切れることなく全天にかかる七色の円弧が見えます。鮮やかでくっきりとした虹です。そしてその虹の外側には、もうひとつの薄い虹が見えます。この虹は天頂に近づくにつれて、かすかにほのかに消えていきます。このような二重の虹を見たのははじめてです。生徒たちの中にはスマートフォンで撮影しているものもいます。わたしも、机の引き出しからデジカメをとりだし、生徒にまじって、自然のもたらす造化の妙を撮影しました。

追記 そして夜には月。
 庭の面はまだ乾かぬに夕立の空さりげなく澄める月かな 従三位頼政
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文化祭の準備

2012/08/30 Thu (No.817)

 先日来、1.2年生の授業もはじまって、学校がにぎやかになりました。文化祭も間近になり各クラスとも準備に追われています。しかし、年ごとに思うことですが、文化祭への取りかかりが遅い。こんな調子で間に合うのか冷や冷やしています。3年生は舞台発表が多く、いつもだと、もう教室には劇の大道具や小道具が並び、教室を歩き回るのが難しいクラスがあったように記憶します。

 生徒の能力が落ちてきているのか、わたしがせっかちになってきているのか。舞台の練習もあまり進んでいないように思います。来月の中旬にはいよいよ文化祭です。そのときまでには、きっちりと準備してくれるものと期待しています。
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指定校推薦の申し込み

2012/08/29 Wed (No.816)

 どの高校でも、指定校推薦の説明会が開かれ、募集が始まっている頃だと思います。わたしの高校でも、先週、指定校推薦説明会を実施しました。この説明会に参加したものだけが、指定校推薦に申込できることにしたので、100名を超える生徒が集まりました。指定校一覧表はそのあとで公表です。

 一覧表にどこまで載せるかは、各高校によって違いがあると思います。わたしの高校では大学・短期大学と看護専門学校だけを詳しい一覧表にして、一般の専門学校は学校名だけを載せています。

 説明会では、指定校推薦担当の先生に、指定校推薦のメリットとデメリットをお話ししてもらい、たまたま第一志望の大学・学部から指定校推薦の募集がある場合に限って、応募するように伝えました。また、一覧表には書ききれないこともあるので、応募する人は必ず進路指導室で正確な募集要項を確認するように言っています。そんなわけで今週は募集要項の確認に来る生徒で進路指導室はごった返しています。何人かずつ、順番に進路指導室で要項を確認してもらいます。指定校推薦は、高校を代表して生徒を推薦するわけですから、間違いは許されません。校内選考のための志望理由書も書かせて、志望動機が明確であるかもチェックしています。

 もちろん説明会に参加した生徒が、すべて指定校に申し込むわけではありません。一覧表を見て、第一志望の大学・学部がないため、公募制推薦や一般入試を受験する生徒も多いです。また、指定校制度の見直しによって、今年、新たに指定校推薦の依頼を受けた大学・学部や、指定校枠からはずれた大学・学部もでてきています。
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面接試験の練習

2012/08/28 Tue (No.815)

 面接練習は回数を重ねるほど上手になります。わたしの学校では、面接練習を受けようとする生徒には、必ず、「面接練習シート」を記入させています。出身高校の特徴、なぜこの大学を志望するのか、なぜこの学部・学科を志望するのか、アドミッションポリシーを理解しているか、入学したらやってみたいことは何か、オープンキャンパスの印象は、大学で学んだことを将来どう生かすのか、高校時代がんばったことは何か、高校時代一番印象に残っていることは何か、クラブ活動はどこに所属していたか、、ボランティア活動はおこなったことがあるか、長所と短所はなにか、自己アピールできることは、などをB4の用紙のそれぞれの欄に、実際の面接を想定して、箇条書きではなく文章の形で書かせるのです。面接練習は、担任と進路で行うのですが、この「面接練習シート」が書けてない生徒には、面接練習をしないように担任の先生にもお願いしています。

 面接では、生徒個人の具体的エピソードが重要です。人間の形をした機械を面接しているのではありません。紋切り型の優等生の面接でなくとも、生徒それぞれの主体的で積極的な意欲を、わたしは重視しています。

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中学生が教師を評価するということ

2012/08/27 Mon (No.814)

 高等学校では、授業アンケートは生徒が回答することになっていますが、中学校では、生徒と保護者との双方が回答するようになっています。評価項目も高校とは違い、「興味・関心・意欲の向上」「学習内容の習得」「個の状況に応じた支援」「望ましい学習集団の育成」「児童・生徒への適切な評価」の5点です。

 中学校で、生徒に教師の評価をさせ、それを給与などの人事評価に反映することは高校以上に問題を含むものです。まず中学生に客観的に物事を判断する能力が備わっているのか、疑わしいと思います。自分が中学生だったときのことを思い浮かべてください。教師としての努力や力量とは関係なく、教師に対しては「好き」「嫌い」の感情的側面のほうが強かったのではないでしょうか。中学生は一番情緒的に不安定な年代です。ちょっとしたことで感情的になり、長い間かけて築いてきた信頼が崩れてしまいます。親に対して反抗期であるように、学校に対しても教師に対しても反抗期なのです。たとえば、「話が長いからキライだ」とか「デブだからキライだ」とか、教師の責に帰せられないことがらを、教師の能力に結びつけ、悪意で教師を評価することもあります。クラスで反抗的な生徒集団が、「オレ、お前のメガネうっといし、お前のことキライやから、全部1つけといたるわ」ということも十分考えられます。中学校の先生なら、生徒の顔が思い浮かぶでしょう。金髪・ピアス・喫煙・授業妨害・徘徊・暴言・暴力、そう、その生徒です。

 中学生はまだ個が確立していないので、周りの環境にも敏感に影響されます。クラスで影響力を持つ生徒が、教師に反抗しだすと、自分も取り残されないように教師バッシングに加担する。「先生は好きな子には優しいけど、騒いでる子にはきびしいです。こんな先生は早く辞めさせてください。」こんな評価が普段おとなしい生徒から寄せられると、どう思いますか。まさしく教師いじめの構図です。まじめな先生ほど深く傷つき、学校を去っていきます。

 クラスが荒れるのは、教師の教育力とは関係がありません。40人も詰め込まれた思春期の生徒の微妙なバランスの上にクラスは成り立っています。クラスを紊す生徒がでてくると、穴をうがつようにクラスは崩れていきます。崩れてしまうと、いかにベテランの先生が収束しようとしてもうまくいきません。崩壊したクラスでは、教師への評価も、学力も高いはずがありません。そのクラスを担当する教師も、そのクラスの生徒も、哀れな犠牲者です。教育委員会は、「人事評価にあたっては、アンケート結果だけにとらわれず、子供たちの学力の変化など、客観的なデータと照らし合わせる(産経新聞)」とのことですが、学力の不振が余計に教師を追いつめる原因となります。

 義務教育では、教師が生徒を評価育成するのであって、生徒が教師を評価育成するのではありません。教師が誇りと自信を持って働けるように配慮するのが、教育行政の役割でしょう。大阪の教員の首を絞め、ますます魅力のない職業にしたいようです。
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学級間格差と授業アンケート

2012/08/26 Sun (No.813)

 それでは、同じ高校では、より公平な評価ができるかといえば、そうではありません。クラス間格差が存在するからです。高校では、選択科目をもとにクラス編成をおこないます。そうすると選択科目の違いによって学力の低い生徒、意欲の低い生徒が集まるクラスが自然と生まれてきます。その逆に学力や意欲の高い生徒が集まるクラスもあります。高いレベルの大学進学を狙うクラスでは教科・科目に関心は高いですが、専門学校で満足するクラスでは学習意欲は低くなります。そのため同じ教師が同じ授業をしても、反応はまったく違ってきます。騒がしく投げやりなクラスでは、授業に集中させることは難しいですが、生徒が身を乗り出して聞いてくれるようなクラスでは、授業は楽しくやりがいがあります。当然、この二つのクラスでは、同じ教師に対しても評価は違ったものとなります。

 評価によって給与などの待遇が異なるとしたら、みずからすすんで、学力の低いクラスや問題行動を起こす生徒のいるクラスを受け持とうとする教師は少なくなります。受け持てば評価が低くなるに決まっているクラスは、誰が担当するのか。クラス編成は、新学年が始まる以前に決定しており、あらかじめそのクラスの担当から外れる画策もできます。そして、問題クラスは、ババ抜きのババのように、非常勤講師に押し付け、新任教師に押し付けることも可能です。かくして問題クラスはますます荒れていきます。もしこのようなことが頻繁に起こったら、それこそ教育の崩壊です。

 もちろん、教師はまじめで誠実な人がほとんどです。功利的観点だけで行動する人はごく少数です。ですから上に述べたようなことは、実際には起こらないと思っています。しかし、「授業内容に興味関心を持つことができ」「授業を受けて、知識や技術が身に付いたと感じ」ることを、給与や人事をともなう評価の対象とするのなら、「授業内容に興味関心を持つことができず」「授業を受けて、知識や技術が身に付くことを必要としない」クラスでの授業を避けようとするのは、人間だれしも持つ感情です。

 とつとつと話をする先生、雄弁に語りかける先生、受けないギャグを連発する先生、脱線してなかなか本題に進まない先生、難しい話ばかりしている先生、保護者のみなさんの高校時代にはいろいろな先生がいたはずです。授業が下手であっても、生徒から慕われ、魅力のある先生はたくさんいます。教師は優れて人間的職業なのです。ティーチングマシーンではありません。そうであるなら、どこかの予備校のカリスマ講師のサテライト授業を視聴することが、最も優れた教育となります。
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学校間格差と授業アンケート

2012/08/25 Sat (No.812)

 授業アンケートそのものは、必要なことであると思います。生徒が授業に対してどのような思いを抱いているか。どの点が生徒にとって分かりにくく改善すべきポイントであるのか。生徒からのフィードバックは、よりよい授業をおこなうために必要不可欠だとは思います。わたしも、学年の終わりには生徒に授業についての感想を書かせてきました。しかし、それを評価の対象とし、給与に結びつけることには反対です。

 予備校のように、大学合格という目標が定まっており、それに向かってどれだけ効率的な授業ができるかという一律的な価値が明らかな場とは異なり、価値や目標もさまざまで、まったく授業に興味を抱いていない生徒も存在する公立高校です。「授業内容に興味関心を持つことができ」「授業を受けて、知識や技術が身に付いたと感じ」ることは、教師の力量にもよりますが、第一に、生徒の資質にもよるのです。

 学習習慣が確立し学習識欲の高い生徒がいる一方で、学習に興味がなく、アルバイトやゲームに明け暮れる生徒がいます。他に行くところがないから高校に仕方なく来ている生徒もいます。いやいやながら高校生活を送っている生徒は、積極的に高校生活を送っている生徒と比べたとき、教師にネガティブな評価を与えることは自明だといえます。困難な状況の中で授業をおこなっている教師が、レディネスが備わった状況で授業をおこなっている教師より、低い評価がつくことが多いだろうと考えると、それを給与に結びつける不合理性は明らかです。

 学習意欲が高い生徒が多数いる高校では、教師は授業に磨きをかけることに集中でき、生徒のポジティブな反応を見ながら、「教師冥利」に尽きることができます。一方で生活習慣さえ確立していない生徒が多数いる高校では、生徒を学校に来させ、授業中は座席に座らせ、教室にゴミを散らかさせず、ツバをはかせず、中抜けや早退を防ぎ、けんかをさせない。こういった「生活指導」のほうがはるかに大変です。授業内容に興味を抱かせるより、人間として社会生活ができるようにすることのほうが重要です。たとえ、このレベルの生徒であっても「授業」に関心を持つように授業内容を工夫したい、と思っても、「生活指導」や「補導会議」、「家庭訪問」に追われ、1日が40時間くらいないと「教材研究」もままなりません。生活指導に熱心な先生であるほど、授業アンケートをとると、生徒の側に授業を理解しようとする態度が欠如しているにもかかわらず、「お前の授業はさっぱりわかれへん。最低、あほ、バカ、○○」と書かれるのが目に見えています。そして、給与は減額されます。
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プロフィール

Author:進路ルーム
京都の大学で大学・大学院と8年間を過ごし、高校の教師となりました。文系ですが、コンピュータ大好き人間。人間(生徒)に倦むと機械(コンピュータ)が恋しくなり、機械に倦むと人間が恋しくなります。

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